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憲法改正の提案権は誰にあるか?

益永八尋

日本国憲法は、前文と第1章天皇(第1条〜第8条)、第2章戦争の放棄(第9条)、第3章国民の権利及び義務(第10条〜第40条)、第4章国会(第41条〜第64条)、第5章(第65条〜第75条)、第6章司法(第61条〜第82条)、第7章財政(第83条〜第91条)、第8章地方自治(第92条〜第95条)、第9章改正(第96条)、第10章最高法規(第97条〜第103条)、第11章補則(第100条〜第103条)からなっています。憲法改正に関する条文は第96条に明文化されています。

この条文では、

(憲法改正の手続き、その公布)

第9条 この憲法の改正は、各議院(衆議院、参議院)の総議員の三分の二以上に賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2.憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

と謳っています。
 つまり、この条文の第
1項では、憲法は成立条件(@国会が発議、A国民への提案とその承認、B国民投票による過半数の賛成)を定めているだけである。すなわち、憲法改正の提案は誰が行うかは定めていないのである。このように考えれば、第99条と第96条は矛盾しない。

それでは、憲法改正の提案権は誰にあるのかということである。それは、国民(国会議員でもなく、内閣でもない)にあるということである。その理由は、後述のとおりである。

一方、第10章最高法規の第99条では、

(憲法尊重擁護の義務)

99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負ふ。

と謳っています。

国会議員(公人)は憲法改正の発言はできない

96条と第99条を熟読すれば、誰でもが気づくと思います。それは、安部政権が進めようとしている“9条”改憲(改悪)の手続きの一つである“憲法改正”(改悪)を誰が提案するかは明確に規定されていません。憲法改正の“発議”は各議院(衆議院、参議院)の2/3以上の賛成が必要としか規定していません。その一方で、第99条では“国務大臣、国会議員・・・はこの憲法を尊重し、擁護する義務を負ふ”と明記しています。この矛盾する条文の正しい解釈はどのような解釈を採用するのかということです。この相矛盾する二つの条文の正しい解釈は、憲法改正の提案権は国民(憲法改正の請願)にあると考えれば、矛盾しなくなると考えます。つまり、国民の請願に基づく憲法改正提案であるので、第96条に違反していない。そして、国会議員は国民の請願に基づいての国会提案であるので憲法99条違反にはならないということであると考えます。このように考えるのが、国民多数の理解と承認を得られる解釈と確信しています。

 以上の解釈に基づけば、安部総理が進める“9条改憲”発議は明らかな憲法違反と考えられます。総理大臣が“総理の責任”で行いますと唱えても、できることとできないことがあるのは明白です。憲法改正の提案権は“国民しかない”ということです。もちろん国会議員も国民のひとりですから、憲法改正の提案権は有しています。しかし、その場合は国会議員という立場ではなく、あくまで国民のひとり(個人、すなわち公人ではない)としては“提案権”を有しているということです。

国会議員の公人と私人の区別は?

 では、公人と私人の区別はどのように考えるのが正しいのかという疑問が出ます。公人と私人の区別は以下のように考えれば明確になると考えます。

 総理大臣(首相)を筆頭とする大臣、国会議員、裁判官、国家公務員が職名を使った(冠した)個人名で憲法改正に言及することは許されないことです。これが憲法99条の正しい解釈です。大臣等がマスコミの取材を受ける場合には、マスコミは取材対象者を公人と考えているから取材するのであり、私人への取材とは決して考えていない。そして取材を受ける方も私人として取材を受けているという自覚はないのである。つまり、大臣、国会議員、裁判官、国家公務員等の公人がマスコミの取材を受けるということは、私人ではないことである。したがって、憲法99条に示される公人がマスコミの取材を受けて憲法改正の意見を述べることは明白な憲法違反である。

憲法違反行為を行った国会議員への審判者と罰は何か?

大臣、国会議員によるこの憲法違反の行為は国会議員の特権を悪用した行為であると云わざるを得ない。憲法では、憲法違反の発言や行為を行っても、罰する法律はありません。 憲法違反の行為を行った者(大臣、国会議員、裁判官)へ罰を与える審判者は裁判官ではなく、主権者である国民である。国民は、選挙で審判を下し、その結果として議員資格を奪うことです。つまり、憲法違反を行っている議員への罰は選挙で落選させることです。この判決には控訴権はありません。

憲法改正の手続きについて

憲法改正が必要と考えた場合には憲法“(請願権)第16条”を適用することになります。この条文は

(請願権)
第16条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇を受けない。

と謳っています。つまり私人の立場であれば、“法律(憲法を含む)の改正”に関する請願の権利を有しているので、この権利を行使すればよいことなります。 請願にかんしては、国会法(昭和22430日 法律79号、昭和41年法89)第8章 質問((請願の手続)第79条、(請願の処理)第80条)では次のように定められています。

(請願の手続)
79条 各議院に請願しようとする者は、議院の紹介により請願書を提出しなければならない。
(請願の処理)
80条 請願は、各議院において委員会の審査を経た後これを議決する。
 2.委員会において、議院の会議に付するを要しないと決定した請願は、これを会議に付さない。但し、議員20人以上の要求があるものは、これを会議に付さなければならない。

つまり、国会議員が自らの議員資格を用いて請願することはできないと解釈するのが妥当な解釈です。そして、国会議員が自らの考え(憲法改正等の法律改正)を望むならば、私人として請願しなければならないと解釈するのが妥当と考えます。つまり、請願権は国民(公務員ではなく私人)にしかないというのが、憲法前文に書かれている“主権が国民に存することを宣言する”ことの具体的な手続き定めた法律であると解釈するのが正しい解釈です。つまり、憲法を改正するための提案権は国民にあり、“天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員”には提案権はない(憲法99条)というように解釈するのが正しい解釈と確信しています。

 

世論調査結果のひとつの考え方と憲法改正の進め方  2017年1月21日更新

益永八尋

 

共同通信社は、同社が1月1314日に実施した世論調査の結果を発表した。世論調査の結果は、T.憲法9条への自衛隊明記について

  賛成35.3%、反対52.7%、分からない・無回答12.0

U.安倍首相の下での改憲について

  賛成33%、反対54.8%、分からない・無回答12.2% 

である。この調査結果をどのように考えるかは非常に重要である。そこで、私見になるが以下のように考えてみた。

第1点は、どのような形で世論調査結果がなされたかである。当然のごとく、世論調査の手法には様々な手法がある。世論調査の方法として、ひとつは、世論誘導型の設問での世論調査であり、二つ目は、その反対の非世論誘導型での世論調査に大別される。世論調査方法により、調査結果が異なるということである。そのことを知っていることが重要である。そして調査者(実施機関)、どのような方法で調査をおこなったかを公表しなければならない。

2点は、TおよびUの設問にたいして、“分からない・無回答”が12%もいることである。このことへどのように政府・自治体(行政機関)が考え、それを行政にどのように反映させるかを考えるか否かである。つまり一割程度であるから無視できると考えるか、それとも1割もあるのだから、何らかの対策をとるべきと考えるのかである。前者は、明らかに行政の怠慢であり、憲法を擁護しなければならない憲法の規定に反する行為である。後者は、憲法順守の立場である。

3点は、第2点で指摘してきた“分からない・無回答”が1割以上いることは何を意味しているかを理解し、把握しているかである。その一つが、70年以上の長期間にわたり現憲法の学習・理解を得るための教育が長年おろそかにされた結果であるということである。二つ目は、憲法のことについては、分からないから正直に答えたという意味である。三つ目は、反対・賛成を決めきらないため“分からない・無回答”になったという意味である。

 以上のように考えれば、今後なすべきことは憲法改正に関する議論が国会内だけの論戦だけでなく、広く国民の間での議論できる情報の公開が必要である。そして、議論の場を広く設ける(公開討論等)とともに、十分な時間(数年=2〜4年程度)が必要である。勿論、議論の期間をどの程度にするかは十分な国会論戦や世論により決定される必要があり、決して政権党(自公政権)または憲法改正提案政党により決定されることがないように国民は監視する必要がある。ここで注意しなければならないのは、戦争と平和の問題であって、経済問題を過度に持ち込まないことである。経済は日々変化しているだけでなく予想が極めて困難であることからこの問題を憲法改改正問題に入れれば結論は得られないと考えられるためである。

 PDFファイル

 NHKの受信契約訴訟を考える―受信契約拒否は違憲か否か   2017年12月15日更新

国民の知る権利と契約の自由をめぐる訴訟において、126日に、最高裁判決が出された。この最高裁判決は、NHKの受信料制度を「合憲」とするものであったが、果たして、「合憲」が正しいといえる判決なのか。

最高裁判決では「財政面で国などの影響を受けずに国民の知る権利を充足する公共放送の目的にかなう合理的なもの」としているが、果たしてそう断じることが可能か。ここで一番重要なのは、「知る権利」という言葉の意味ではないか。知る権利とは、国民であれば、誰でもが等しく知るための条件を有していることであり、知ろうとすれば無条件に知ることが保障されているということではないか。この「知る権利」は戦前の多大な犠牲と苦難に満ちた経験から得た権利であると考える。もちろん、その権利を行使しないことも含まれる。権利を行使するか否かは国民(個人)が判断することである。国民の知る権利が生まれたのは現在の憲法が誕生してからのことであり、これ以前は「知る権利」という概念はなく、「知り得る」立場(権力)を有する者しか「知る」ことができなかった。

「知る権利」を保障するための制度(合理的な仕組み)であると断ずるならば、個別の問題においても、そのように断ずるだけの証拠は例外なくあるのかということである。むしろ、例外は多くあるのに、報道量の違いから無視している判決ではないのかと判断されてもしかたがないのではないか。

契約の自由についてであるが、契約は当事者間の合意があって成立するものである。もちろん、憲法や法律等が許す範囲内の契約内容であることは当然である。

現在の受信料制度が法律により確立した当時では、契約の自由を侵害しても社会的に大きな問題にならないでいた。しかし、放送法(2014年の最新法)ができてから67年が経過し、近年ではNHKの放送内容が「国民の知る権利」に沿った内容から逸脱しつつあるのではないか。そのような中では、受信契約拒否者が多く出てくるのは当然である。法律制定当時からしばらくは技術的にも特定の周波数のみを受信できないようにする技術がない。また契約の自由が侵されていても国民の大多数は問題にすることはなく(NHKも法的手段を選択しなかった)、知る権利の方が重視されていたために「契約の自由」を主張することはなかったと思われる。しかるに、受信料支払い拒否者に対してNHKが「法的手段」を選択したことから「契約の自由」という基本的な権利を主張し、契約拒否者がでるようになったと考えられる。

国民の「契約の自由」を「受信料制度下」においても保障するためには、特定の周波数が受信できない受信設備を購入できるようにすることである。現在の技術水準であれば、その受信設備を製造することは可能であると思われる。また、この受信設備は、現在の受信機より少し高価な受信設備になると思われるが、提供は可能であると考えられる。したがって、今回の最高裁判決は、「合理的な仕組み」ではなく「合理性」を欠いた「仕組みを温存する」判決であるだけでなく問題解決にならない判決と言わざるをえない。このような最高裁の判決が出るのは、何も今回だけではない。自衛隊や選挙制度訴訟の合憲論と本質的には同じ手法や考え方で出てきた判決であり、行き過ぎた「判例主義」と政権が困らないように配慮(忖度)した判決であると思わざるを得ない。

  3.11の原発事故を改めて問う 2017年3月11日更新
―原発事故は多くの人の生存権(健康で文化的な生活をする権利)を脅かしている−
益永八尋

 2011年3.11の福島第1原発の放射線もれの事故から6年が経つ。しかし、まだ多くのひとが避難を継続している。県外39,608人(2017.1.31現在)、県内39,598人(2017.2.13現在)である。この間に原発災害は、被災した住民以外や加害者側の東電社員まで被害者になるという深刻な問題を引き起こしている。
その第1は、風評被害が収束していないこと。風評被害は、収束の方向に向かいつつあるのか。その実態は、「風評被害の根強さが表れる結果となった」(参考資料1)と報告されている。首都圏消費者の福島県産品に対する調査では3割の人が「買わない」と回答している(H24、25、26年調査)。
福島県の生産者は農産物の放射線量の測定を行い、基準値を超えるものは出荷しないなどにより、風評被害の収束に努めている。しかし、そのような対策をしているにも関わらず、風評被害はいまだ収束していないのが現状であると思われる。放射線の風評被害を収束させるためには、放射線についての正しい知識を有する者が増えて、大多数になることである。正しい知識を得るための方策(教育や啓蒙、研修)をどのように実施したかが問われるのではないか。当事者のみが、風評被害を収束させるための対応を行うには限界があるため、自治体や国が対応することも必要であり、できるだけ早く風評被害の収束を図るようにすべきである。
第2には、福島県外に避難した人たちへの“いじめ”やそれに近いものがあることである。“いじめ”は児童や学生だけでなく大人にもある。このことについて、読売新聞は、「福島県外に避難した児童生徒へのいじめが、全国の公立学校で少なくとも44件あり、うち避難に関連するいじめが7件」(福島県からの避難児童生徒は7848人)(WEB)と報道している。このいじめ件数を多いとか、少ないと考えるかは様々であると思う。しかし、問題は原発事故による“いじめ”であるということである。これらの“いじめ”により今後の生き方にまで大きく影響する可能性は否定できない。いじめの原因となっている問題を正しく把握し、対応策をとる必要がある。特に、教育や啓蒙・研修は、当事者だけでは負担増となることが想像されるので、専門的な知識を有する人材の派遣や育成をする必要があると思われる。
第3には、損害賠償を担当している東電社員が過労や被害者への対応により、ストレスが蓄積し、そううつ病などの精神疾患となり、東電を退職することになったなどが発生している。精神的疾患がみられる東電職員は、どのくらいいるのであろうか。かなりの職員が程度の差はあれ、精神的疾患に陥っていると想像される。(『心に傷を受けた社員は、11年時点で12・8%にあたる181人。』)このような、事態に陥らないように、東電は仕事の進め方や病状の把握、改善策を行ってきたのかが問われるのではないか。また、厚労省についても、東電職員の精神疾患発生に対して、適切な指導を行ってきたのかと問われても仕方がない状況になっている。
精神疾患にならないように、労働の実態を把握しながら適切な人事異動や新規雇用などの諸対策を効果的におこなうことが求められる。また、原発災害関連の業務での勤務が過大にならないように管理者や経営者は最大限配慮するのが求められている。これは東電の問題であるからと云って看過できる問題ではない。
参考資料1:震災後における福島県産農産物の売上・取引価格の回復状況について
参考資料2:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170308-00050163-yom-soci
http://fkeizai.in.arena.ne.jp/wordpress/wp-content/uploads/2015/01/cyousa_2015_11_2.pdf
参考資料3:福島原発事故の真実と放射能健康被害
http://www.sting-wl.com/fukushima-workaccident.html
参考資料4:2017年3月7日 読売新聞
https://medical-tribune.co.jp/news/2017/0307506657/
                  領土問題と地理院地図の関係はどうあるべきか      2017年3月11日更新
                        ―領土問題を解決させるための一つの考え方―
                                                                                   益永八尋

国土地理院の地図では日本国の固有の領土であると主張している北方領土に関しては、どこの市町村に属しているかを明示した国の資料がない。対ロシアに対しては、日本国の固有の領土であると主張しているが、これは、国民感情を無視しえないための方便であることはこの事実だけでも証明されている。日本の固有の領土であると主張するからには、当然日本固有の住所があって当然である。

 領土問題が生じている(日本政府が存在していないと云っているから存在していると考えるのは間違いである。存在しないという論理が成立するのは関係国同士での納得つまり、領土画定が条約により確定しているかどうかが判断材料であり、それ以外の判断は政治的パフォーマンスであると言わざるをえない。つまり、二枚舌を使っているということであり、国民に対しては、固有の領土と云いつつ、他方では、政治的妥協を図るというスタイルをとっていることと同じである)

 領土問題が存在しない、と云うのであれば、その考え方は、第3国に対しても同様な考え方が伝わり、且つその考え方が支持される必要がある。

 具体的言えば、日本の領土と主張しているが、他国が認めていない国として、竹島(韓国名では独島)、尖閣諸島(中国名では釣魚台列嶼)、北方領土(日本では:国後島、択捉島、歯舞色丹島【自民党の考え】)を含む全千島列島。日本固有の領土はカムチャッカ半島と占守(シュムシュ)島との海峡が国境となり、占守(シュムシュ)島以南の全千島列島である(樺太・千島交換条約:1875年(明治8年)57日締結)と主張するのが正当である。ただし、サンフランシスコ平和条約において千島列島の放棄を行っている(同条約第2条(C)項)。

日本国が領土と主張している島々について具体的(地理院地図)で見た場合には次のようになっている。

 竹島(島根県隠岐の島町)、尖閣諸島(沖縄県石垣市)となっており住所表示が国土地理院の地図には明記されている。しかし、北方領土では国土地理院の地図には明記されていない。つまり、日本国は、領土問題に対して一貫した考え方が存在していないと云われても仕方がない政策をとっているが故に、領土問題に関しては相手にされないでいると言わざるを得ない。つまり、相手にとっては、言葉と事実が一致していないが故に、真意はどこにあるのかが不明にならざるを得ない。そのような態度をとっている国との間には領土問題は存在していないと回答し、その問題でテーブルに着くことさえ拒否するのが一番国益になると考えているのであると推理される。

全文はこちらを見てください(PDFファイル)

『エントロピーの法則』と福島第一原発事故    2016年12月23日 更新

益永八尋

『エントロピーの法則―21 世紀文明観の基礎』(ジェレミー・リフキン著―竹内 1982 12 月発行)を再読している。32 年前に発行されたもので、34 歳のときに買った平易で読みやすい文明論の本である。今、この本を再び読み返すなかで、原発に関する記述があったので、その基本的問題について考えてみた。

 この本の3 、「テクノロジーの実体を明かす」に『原子力発電所の現状と将来性、 崩壊した安価なエネルギー神話』(p.133)の話がある。ここで、原発は、決して安価なエネルギーでないことが詳述され、「いわゆる隠れた費用が多く、“安価なエネルギー”という原子力エネルギーの神話はもろくも崩れさってしまった」と指摘している。さらに、「誰にもわからない核廃棄物の処理法」 p.136)ということにも触れ 原発にはこのような基本的な問題があることが指摘されている。つまり、今重要なことは人間にとって安全に処理(分解、再利用等)できないものは作ってはならないことだ。これが許容出来るのは、安全という共通認識が多数を占めた時であると思う。この『エントロピーの法則』の本には、原発事故に関する記述はないが、一旦犯した失敗は不可逆で、決して徒(ただ)では済まされるものでないこと、そして必ずいつかは起こる事故を考えると、原発を「安価なエネルギー」とする理由全く根拠がないことが分かる。この本に従えば、原発は人類にとって何のメリットもないことになる。

 2011 3 11 日に発生した宮城県沖を震源とする地震による津波により福島第一原発 の事故が発生した。この原発事故により、原発周辺に住んでいた多くの住民は被災してから 5 年がたった現在でも古里にれない避難生活を余儀なくされている。わが国には32 年前には27 基しか原発は運転されていなかったが、当時、福島第一、第二発電所はすでに運転されていた。現在では 51 基(廃炉予定を 含む)が、32 年前の 27 基から 51 基に増加している。1966 年(最初の原発が運転され た年)から 1984 12 月までの原発増加率は 1.42 基/年が 19851997 年では 1.85 となり原発建設がスピードアップしている。原発事故が発生し、原発の廃炉作業計画は策定されたが、その計画自体も絵に描いた餅になりつつあるだけでなく、後処理に巨額な金がかかるだけでなく、廃炉作業の国民負担もさらに増加することが明らかになっている。

 この事態も関わらず原発の再稼働や原発輸出を安倍内閣は推進している。東京電力で発生した事故(東京電力が起こした事故ともいえる部分がある=裁判中)であるにも関わらずである。このような、政府に日本の未来を託することは、自分の首を絞めることに他ならない。わきまえのない、身勝手な「安倍政治許せない」と言う気持が、この本によって、ますます強まった。同時に、多数の声が正しく反映される選挙制度が構築されなければ、国民の多数の声は政治的には反映されない。そればかりではない。悪政を黙認することにもなる。今年はこんな暴走政治をさせない年にしたいと思う。

国立大学の予算削減−廃止させるべきは政党助成金−
                                                                                    益永八尋

国立大学の運営費(平成26年度では1兆1,123億円の交付金)を国の支出と自己収入を半々にするという目標を財務省は掲げ、来年度から実施し、15年後には目標達成を目指そうとしている。自己収入を今より増やすということの意味は何か。一つは授業料を値上げするということもあるということである。二つ目は、授業料以外の収入、つまり寄付金(企業からの研究費調達)を得るということもあるえる。授業料値上げの額または企業からの寄付金の額は相対的な力関係の中で決まるものである。国民の力(世論)により、学費値上げが縮小されるならば、企業寄付金が増えるということである。企業寄付金が増えるということは、国民の生活に関わる研究がないがしろにされるだけでなく、それらの基礎となる基礎研究もないがしろにされ、日本の技術力低下につながりかねない。そして、企業に都合の良い研究だけがすすめられ、企業だけが儲かるという高等教育システムが完成されることにつながりかねない。他方、国民の力(世論)が弱ければ、大幅な学費値上げにつながる。つまり、多数の国民にとっては、いずれの場合でも望ましい方向ではないことが明白である。財務省にとっては、学費値上げ額の増減や寄付金の増減には関係なく予算編成を行えるということであり、まことに都合の良い考えである。この財務省の考え方を撤回させるのが本筋ではないか。学費値上げ反対だけでは本筋から離れていると思われる。
 こうした学費値上げや企業寄付金による大学運営の考え方より優先すべきものがある。それは、憲法違反であるとの考え方もある政党助成金の削減や廃止である。政党助成金は廃止されるものと考えるのが、思想信条の自由を保障している憲法の規定からいって正しい。政党の置かれている内部事情から政党助成金が必要であるとの議論は、憲法が規定している思想信条の自由から成立しない。ましてや、政党助成金の受け取りを拒否している政党も現実に存在している。政党助成金制度ができてから、21年(1994年成立)になり、総支給額は約21×320億円/年=6720億円(国民1人当たり250円/年)にも達する。政党といえども、組織努力(個人献金や事業収益、企業献金はNG)により、政党活動資金を確保するのが本筋である。
財務省の政党助成金を問題にしない姿勢は、憲法の規定からいっても問題がある。つまり、行政機関は憲法を順守する機関であるため、憲法の規定する思想信条の自由に反する政党助成金に対して、何ら問題としないのは憲法を守る(第99条)という条項違反であると考えられる。また、国立大学の運営費を学費値上げや企業寄付金により捻出しようとする考え方は明らかに憲法の規定に反する行為ではないか。学費値上げは、憲法に定められた「教育の機会均等」(第26条)に違反する恐れが極めて高い。大学学費の段階的無償化をうたった国際人権規約を日本政府は2012年に批准している。財務省の考え方は、この国際人権規約にも反するものであり、許されるものではない。
今年のノーベル賞には日本人二人が受賞した。近年では、毎年のようにノーベル賞の受賞者を輩出しているが、財務省のような考え方では、ノーベル賞の授賞者はなくなるのではないかと危惧される。
                       書評 『農業は脳業である』古野隆雄 著   2015年3月28日更新
                                                                                     益永八尋

山崎農業研究所の会員である古野隆雄 氏が2014年10月に「農業は脳業である」を出版した。著者は“合鴨水稲同時作”の農法を確立した百姓である。著者は第21回山崎記念農業賞(1996年)を受賞しており、山崎農業研究所との関係も長く、深いものがある。
この本は第1章から第7章まであり、目次を見れば次のようになっている。
 第1章 伝統農業、近代化農業、有機農業、第2章 苦節10年、第3章 失敗の数だけ人生は面白い、第4章 発想が勝負、第5章 合鴨君の教育力とシンクロシティ、第6章 合鴨君、アジアへ飛翔、第7章 失敗の先にあるもの
 著者の育った環境から「合鴨水稲同時作」農法の確立いたるまでの農業実践と農業人としての社会的活動がつづられている。そして、農業に対する考えや哲学、愛着心などが全体としてさりげなく記述されている。このため、読者も著者の考えに素直に納得、共感を得ることが多い。
 古野氏は、「合鴨水稲同時作」農法を確立した百姓(農家ではない)であると云える。そのことについては、著者は第7章において「百姓しながら学位論文を書く」とうい項を設けているので明白であると思われる。この記述に見られるように著者は「百姓」という言葉が好きであり、愛着を持っていると思われる。私も、この百姓という言葉が好きである。というのも、私自身が百姓出身であるからである。現代においては、農業を生業としているか否かにかかわらず多くの人々は百姓という言葉を使っていない。
 時代は明確ではないが、一昔前までは親から「百姓(農家)には学問はいらぬ」などと云われていたが、今日では、大学(大学院)を卒業(農学系学部とは限らない)して農業(百姓)をする若者が多くなってきている。そのような状況にある中で出された今回の「農業は脳業である」は、これから農業を生業にすることを目指している若者に読んでもらいた本である。
 この本は、合鴨水稲同時作の技術的な説明やその農法確立に関する記述が多いのは仕方がない。だからと云って、畑作農家や畜産農家、果樹農家等を目指す若者には読まれなくても仕方がないと言っているのではない。むしろ、百姓を目指す若者にとっては必読の本と云える。
 今、日本の農業はTPP交渉の影響で不透明感を増しつつある。TPPに参加した場合、農水省の調査でも、食料自給率が現在の40%から14%まで低下すると指摘している。自給率がこれだけ下がるということは多くの農家が農業を廃業し、他産業に移行せざるを得ないということであるが、果たして、転業先はあるのか。このような先行き不透明な農業を巡る状況の中にあって、希望を見出すことのできる本であると思われる。
 古野氏の農業を支えたのは「安心安全な食料」を求めた多くの消費者が存在し、著者の考えや哲学に共鳴するだけでなく、援農に参加する消費者の支援があることも忘れてはならない。
 

西川農水相への政治献金は何を意味するのか  2015年2月18日

益永八尋

『西川公也農相の政党支部が2013年7月、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉に日本が初参加する直前に、砂糖メーカーの団体「精糖工業会」(東京都千代田区)の運営するビル管理会社「精糖工業会館」(同)から100万円の献金を受けていたことが分かった。砂糖はTPP交渉で関税撤廃の例外とするよう日本が求める「重要5項目」の一つで、業界も保護を求めている。』というメールが個人あてに毎日新聞から届いた。この内容から、判断できることは何かということである。端に、政治献金があったから問題があると云う意味での正悪を判断するだけの問題ではないことに注意すべきである。

第一の問題について

献金がTPP交渉初参加直前に行われたということは、「砂糖の関税撤廃を例外とする」ように求めた特別な目的をもった政治献金であり、一般的な政治献金とは異質な政治献金であるということである。つまり、献金者に都合のよい特定の政策を行わせるための献金であり、極めて違法性の高い行為であると言わざるをえない。これは政治倫理の観点からも許されるものではない。

第二の問題について

 この問題の一つは、「精糖工業会」にとってTPP妥結内容が「砂糖の関税撤廃がない」ようにすることである。砂糖工業の業者にとっては、「砂糖の関税撤廃」が行われれば、経営が極めて困難になることを理解し、「TPP参加もやむなし」という考えで、砂糖業者だけは例外にしてもらおうと云う考えではないか。この様な態度では、多数の国民(消費者)の理解を得られるかは非常に疑問であり、むしろ反感を買うだけである。もうひとつは、精糖工業会は、西川農相は砂糖の関税撤廃を行う恐れがあると判断しているということを意味している。つまり、西川農相では「砂糖の関税撤廃」が行われる可能性が高いため、献金により「関税撤廃」をしないようにその保険をかけたということである。砂糖工業会は、『西川農相は「重要5項目」を守る』という認識はしていないということを公言したのに等しいのではないか。

第三の問題について

社会的影響はどの程度出てくるかが不明であるが、TPP参加に反対する側にとってはマイナスの影響があり、反対にTPP参加賛成派にとってはプラスの影響となる。そしてTPPに賛成か反対かを迷っている国民にとってははなはだ迷惑な事件であると言わざるをえない。つまり、この問題によって、どの位の人々がTPP参加賛成または反対の意思決定を行うかは測定不能であるが、TPPの参加または反対のどちらかの意見が多くなるものと推察される。その結果は、TPPの参加または不参加が決定がされることの主要な一つの要因になる可能性がある。TPP参加または不参加の決定は、その内容が及ぼす影響について多くの国民が認識できていることが前提である。この献金問題がTPP参加または不参加を決定する場合の判断材料にされてしまう恐れがあり、TPPの内容によらない判断でTPP参加または不参加が決定されることは避けなければならない。

 

密約は犯罪・売国の行為だけでなくその代償も大きい

TPPでは密約の可能性はないか―

              益永八尋

 日本農業新聞(201527日付け 2面)は『20年前の交渉当事者が証言 今も生き続ける「密約」1』(山田優編集委員)との見出しで報道した。この報道が事実であれば、密約は犯罪・売国行為であると言わざるを得ない。もっとも、日本政府は公式には「米国産の米輸入量を保証している事実はない」と言い続けているが、密約に関してはこの問題だけではなく存在する。「密約」として有名なものは、沖縄返還時の核持ち込みやその他の問題での密約(沖縄密約と言われている)が存在している。そして、沖縄密約では「一、二審判決は、沖縄返還を巡る日米交渉の過程で密約文書が作成されたことは認めており、最高裁もこの判断は維持した。(西山貴章)」2とされている。外国の例では、ヤルタ密約3が有名である。この密約によって、日本は千島列島を旧ソ連に占領され、その後成立したロシアにおいて引き続き占領され続けている。以上の他に密約は多数存在する。

 国と国が結ぶ条約や商取り引きの契約だけでなく、すべての契約行為に密約は存在してはならない。そのことを自覚し、当事者は条約や契約を締結するための交渉を行うことが当然である。それが、国民から負託された政治家の仕事であり、密約することは負託されていない。密約は犯罪行為であり、政治家だから許されるという性質のものではない。

密約を結ぶ国や法人や個人は、進歩性がないだけでなく信用されないということである。そして、密約を提起した側は、今後の様々な交渉においても負の遺産となり続ける。このことについて日本農業新聞では「米国は今、日本に同国産の主食用米輸入数量を保証するよう迫っているという。20年たって新たな日米農産物交渉が始まった今でも、密約は生き続けている」と指摘するだけでなく「高価な米国産を優遇することで発生する財政負担が」あり、「農水省の最新資料では50万トンを飼料に向けに売却すれば200億円、援助に売却すれば同400億円の差損が出る試算が示されている」とも報道している。これらの差損が20年間続けられていることにより、日本国民の損失額は単純計算で総額40009000億円になる。

 日本政府のように、密約が事実として明白になっても「密約は存在しない」などと言い続けることは、事実を隠ぺいするという犯罪行為だけではなく、日本を誤った方向に導く危険性が高く、日本国民は将来に渡って永く負の遺産を引き継ぐことになる恐れが強い。仮に、密約の存在が明らかになった場合には、時の政権は直ちにその事実を認め、当事国だけでなく国民にも知らせるのが責務である。ましてや「密約の存在はない」などと居直った態度をとるべきではない。それと同時に密約を結ばさせない国民の声を大きくし、安易に「密約」を提案するような外交交渉から脱却することが大事ではないか。また、マスコミが密約の事実を知った時には、単に事実の報道だけをすれば良いといものではなく、密約のもつ危険性や売国性・犯罪性そして多数の国民にとって密約がいかに害になっているか又はなりつつあることを国民に知らせることがマスコミの役割ではないかと考える。

日本の歴代政府は国民に内緒にした「密約」を結ぶのが好きなようである。この傾向は今後も引き継がれる可能性が高いと言わざるをえない。

 今、TPP交渉が政府によって進められているが、この交渉が成立する時には、「密約」が結ばれる危険性がある。日本政府は、交渉が行き詰ったときには、これまでの経験から判断すれば「密約」を結ぶ戦術をとる可能性がかなり高い。TPPの交渉内容について、その解説も含めて広く国民に知らせることがマスコミの役割ではないか。このことをマスコミに大いに期待したい。

参考資料:下記資料を参考にした

1 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/pdfs/hokoku_yushiki.pdf

2 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1945_yaruta_kaidan.html

3 http://www.asahi.com/articles/ASG7G5HRNG7GUTIL03K.html

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安倍内閣の解釈改憲閣議決定は自殺行為である             2014年7月5日更新               益永八尋

 安倍内閣の解釈改憲をおこなった71日の翌日以降の朝日新聞の“声(Voice)”をみると閣議決定に賛成する内容の意見(声)が多い。これらの意見は“平和を守る”点での “賛成”ということである。このことについて異論はない。しかし、これらの基本になっている論拠は、論をなしているとは言えない。すなわち、論拠にしている集団的自衛権や自衛権とは何かということの理解が少ないと思われる。集団的自衛権または自衛権は、武力(Force)だけではないということである。つまり、武力だけでなく言論の力、経済力、文化やスポーツなどの力(権利)を駆使して国(国民)を守るという権利を有していることである。日本国憲法は、集団的自衛権や自衛権の一部である武力を放棄しているだけであり、他の力(権利)は放棄していないのである。すなわち、集団的自衛権=武力ではないということである。正当な手段(憲法改正)では武力の行使ができないので解釈によって武力の使用が可能であるとの決定が今回の閣議決定である。武力が必要ならば、憲法改正を行うのが正当な手段であり、国民の信頼も得られる。武力が必要か必要でないかは国民自身が判断するものであり、内閣が決定するものではない。武力によって生命や財産を守りたいからといっても正反対の解釈改憲を行ってもよいとは言えない。

 言語(文字を含む)は人間にとって生命と同等である。そして、その言語は誰でもが同じように解釈できることが大前提である。同じように解釈するから、信頼を得ることが可能となり、法律が制定され、契約書が交わされ、安心して生活できるのである。人によって解釈が正反対になるようではもはや言語とは言えない。単なる、本人しか通用しない記号でしかない。人間の生命はこの言語(法律)により守られている。この言語が、今回の解釈改憲で正反対の解釈が正しいというのであるから、自らを守る言語(法律)を放棄したといっても過言ではない。

知性と良識ある内閣を作ろう―解釈改憲を否定する内閣を―        2014年7月2日更新         益永八尋

 安倍内閣は、71日に超えてはならない一線(パンドラの箱を開ける)を超えてしまった。閣議決定されてしまったから仕方がないと諦めることは許されるものではない。犠牲になるのは自衛隊員の生命でだけではない、あらゆるところでの犠牲が秘密保護法との関係で出てくる。このような事態にならないように、様々な論点から憲法違反であるだけでなく悪影響があることを国民の圧倒的多数が認識できるようにすることである。

 安倍内閣は解釈改憲により武力攻撃が可能であるとの結論を行ったが、この結果生ずる影響についての議論は国会論戦のなかでも全くなされていない。さまざまな影響があると考えられるなかで、日本語の信頼性と教育について考える。

 日本の憲法では、武力による解決を放棄している。このことは、中学卒業程度の日本語力を有する者であれば、誰でも理解できる。しかし、解釈改憲により、集団的自衛権という名による武力攻撃が可能であるとの解釈改憲が閣議決定された。このことにより、日本語の信頼性は大きく揺らぐものになる。戦後半世紀に近い長き時間をかけて信頼を得た日本への信頼性は、このことにより一挙に瓦解するであろう。信頼は得るには長き時間がかかるが、信頼の喪失には時間はかからない。

 現在の日本は、企業の海外進出や、個人の海外旅行が非常に多くなり、かつてない程国際的になっている。また、小学校、中学校においても英語教育が重視されている中で、ますます国際的に様々な場面での日本人の活動が活発化するであろう。国際的な活動の広がりを可能にする大前提は、日本語が正しく解釈され、信頼される言語であることである。閣議決定により信頼性が大きく損なわれることは、明白である。

 日本では武力行使の容認が進められている一方、東アジア諸国連合(ASEAN)では戦争放棄などのASEANの原則を東アジア諸国全体に拡大する努力を強めるとの確認がおこなわれている(特別高官協議62728日)。安倍内閣の今回の閣議決定は、東アジア諸国連合の方向性とも逆行したものであり、東アジアでの信頼性が低下するのは明白である。

自衛権や集団的自衛権の権利を主張し、武力を持ち、武力の行使も権利として持っているかのように言っている。これは、日本国憲法(日本語)の解釈として正しいと言えるか、答えは正しくないである。自衛権や集団的自衛権でいうところの自衛権とは自衛するための権利である。この権利には、武力の行使(=憲法:交戦権)、外交力(政治力)の行使、経済力の行使、文化や言論(世論)などの力の行使がある。日本国憲法では、これらの権利の一部である武力(=憲法:陸海空軍その他の武力)の保持と行使を禁じているにすぎない。他の権利は有しているのである。

論理性のない、解釈改憲は日本語教育に混乱をもたらす。武力を持たないと言っておきながら、実際には武力を持っている、武力は使用しないといっている一方で、武力を使用するこが可能といっていては言葉の論理性が全くない。このことは、日本語教育に混乱をもたらす。日本国憲法は中学校社会科(公民1)で学習することになっている。憲法学習で一番重要な全文や9条の解釈が日本語の論理性とかけ離れた正反対の解釈になるのであるから、教える方も教えられる生徒も混乱するのは明白である。この混乱により、生徒間や教師と生徒の間に不信感が生まれ様々な問題が発生することが危惧される。また、こうした非論理的な解釈改憲の授業を受けた生徒が大人になった場合を想定するならば、大変危険なことであると判断できる。すなわち、どのような文書(法令、契約文書等)であれ、解釈の変更が都合の良いように行われるため、お互いの信頼関係はなくなる。そのような状態になれば、人間の相互不信、国家間の相互不信につながり、さまざまな行動をお互いとるようになる。この様な事態にならない様にするために、知性と良識ある内閣―解釈改憲を否定する内閣を−を作ろう。


                  今からでも遅くない―安倍内閣打倒を叫ぼう― 2014年6月28日更新           益永八尋

 安倍内閣は71日に何が何でも解釈改憲の閣議決定を行おうとしている。71日は自衛隊発足の日(195471日:自衛隊法施行日)にあたり、そのことで自衛隊員へ自覚(戦争を行うこと)持たせるつもりであろう。解釈改憲により得られるものは何もない、失うものばかりである。解釈改憲で安倍内閣は国民の生命を守ると言っているが、実際には生命を失うことになる。今、日本は先進国になっているが、その地位は経済、文化、政治、スポーツなどの諸分野において先進国として認められているからであり、これらの中で最も重要な政治的なものが失われることになる。このことで、日本は、先進国から、後進国(二流ではなく三流国)へなることは確実である。この様な国にしようとしている内閣をいつまでも存在させる訳にはいかない、安倍内閣打倒の声を大にして叫ぶことである。

 日本は、戦争を行い、他国民の生命と財産を奪った反省から、戦争放棄を国の基本方針とする(憲法)を決定した。そのことで、日本は、国内においては様々な問題を起こしながらもそれらを克服し、経済成長を成し遂げて先進国になった。先進国になったのは、この憲法を採択した勇気ある日本国民の英知の賜物にほかならない。多数の尊い命(日本人だけでなく世界の人々)を犠牲にして得た憲法を言語論理なき非論理的な解釈で戦争する国に変えようとしている。

解釈改憲は、日本人が世界に誇れる憲法9条を実質的に無効化するだけでなく、日本人への信頼をなくすものである。このような、内閣は現憲法下の歴代内閣の中で最悪と言われる野田内閣(ちょっと失礼かな)以上のものであり、暴走内閣とか言っている場合ではない。打倒の対象である。

 

今日本語が危ない―安倍内閣の解釈改憲― 2014年6月14日更新

益永八尋

 

 安倍内閣は、今国会中に閣議決定で解釈改憲を行おうとしている。この閣議決定は、自公の協議後に行われるようであり、自民党主導で自公協議が加速されつつある。
 日本政府が解釈改憲により武力攻撃が可能であるとの結論を得た場合の影響について、さまざまな影響があると考えられるなかで、日本語の信頼性と教育への影響について考える。
日本の憲法では、武力による解決を放棄している。このことは、中学卒業程度の日本語力を有する者であれば、誰でも理解できる。しかし、解釈改憲により、集団的自衛権という名による武力攻撃が可能であるとの解釈改憲がまかり通るようであれば、日本語の信頼性は大きく揺らぐものになる。
現在の日本は、企業の海外進出や、個人の海外旅行が非常に多くなり、かつてない程国際的になっている。また、小学校、中学校においても英語教育が重視されている中で、ますます国際的に様々な場面での日本人の活動が活発化するであろう。国際的な活動の広がりを可能にする大前提は、日本語が正しく解釈され、信頼される言語であることである。
日本には自衛隊という軍隊が存在する。その存在は、日本国憲法では戦力を持たないと規定しているにも関わらず1950年(警察予備隊)から存在し続けてきている。この存在自体も憲法違反であるのは明白であるが、解釈改憲による自衛隊の存在を強行してきた歴史がある。今では、様々な理由から自衛隊の存在は憲法違反ではないと考える国民も多いであろう。しかし、これは災害が多い日本国内での自衛隊の救援活動が国民に認知されているからに他ならないのであって、憲法違反ではないということと同次元で論ぜられる問題ではない。
自衛権や集団的自衛権の権利を主張し、武力を持ち、武力の行使も権利として持っているかのように言っている。これは、日本国憲法(日本語)の解釈として正しいと言えるか、答えは正しくないである。自衛権や集団的自衛権でいうところの自衛権とは自衛するための権利である。この権利には、武力の行使(=憲法:交戦権)、外交力(政治力)の行使、経済力の行使、文化や言論(世論)などの力の行使がある。日本国憲法では、これらの権利の一部である武力(=憲法:陸海空軍その他の武力)の保持と行使を禁じているにすぎない。他の権利は有しているのである。
論理性のない、解釈改憲は日本語教育に混乱をもたらす。武力を持たないと言っておきながら、実際には武力を持っている、武力は使用しないといっている一方で、武力を使用するこが可能といっていては言葉の論理性が全くない。このことは、日本語教育に混乱をもたらす。日本国憲法は中学校社会科(公民1)で学習することになっている。憲法学習で一番重要な全文や9条の解釈が日本語の論理性とかけ離れた正反対の解釈になるのであるから、教える方も教えられる生徒も混乱するのは明白である。この混乱により、生徒間や教師と生徒の間に不信感が生まれ様々な問題が発生することが危惧される。また、こうした非論理的な解釈改憲の授業を受け入れた生徒が大人になった場合を想定するならば、大変危険なことであると判断できる。すなわち、どのような文書(法令、契約文書等)であれ、解釈の変更が都合の良いように行われるため、お互いの信頼関係はなくなる。そのような状態になれば、人間の相互不信、国家間の相互不信につながり、さまざまな行動をお互いとるようになる。この様な事態にならない様にするためには、非論理的な解釈改憲を行うべきではない。



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 解釈改憲は絶対に許されない―日本語が信頼性を失う―     2014年5月15日 更新

                                                                                     益永八尋
  今安倍内閣は、憲法の解釈改憲を行うために、有識者懇談会を開き、有識者懇談会での結論を基に、集団的自衛権があるとの解釈改憲を閣議決定しようとしている。“集団的自衛権”については、歴史的にも、“集団的自衛権はない”とする考えが正しいとされてきた。この正しいとされてきた憲法解釈を安倍内閣は変更しようとしている。この動きは日本国民の大多数にとっては極めて危険なものである。解釈改憲を許さない態度表明や行動を起そう。
これ以後の文は全文(PDF)を参照してください。
 

悪法 特定秘密保護法案が成立

―この法は無効な法律であり、ただちに最高裁に提訴しよう―

益永八尋

 衆議院に続き、12月6日深夜の参議員本会議でも自民・公明の強行採決で特定秘密保護法案が成立した。衆議院・参議院の十分な審議が行われたとは言えない中でも、この法の違法性が明らかになっている。このような違法性のある法の施行は行わせないことが求められる。一部には悪法も法だという考えがあるが、悪法は法ではない、「悪法」の施行はさせてはならない。国会の審議で憲法違反であると指摘を受けても、憲法違反と思っていない自公と一部野党の与党へのすり寄りにより成立させた安倍内閣や、国会への期待はできない。国民自らの手で、特定秘密保護法は憲法違反の法律であることを広く国民全体に知らせることにより、次期国会で、特定秘密保護法を廃止する法案の提出を行うようにすることが求められる。
幸いに、日本国の憲法には第98条の条項があり、その条項では違法な法律の効力はないとしている。このための適法手段は同法が憲法違反であるであるか否かを裁判所に判断させることである。憲法第81条、82条、第98条では下記の通りになっている。

81条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

82条 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。

A裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となってゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。

 

98条 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

A日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守ことを必要とする。

 

岩波基本六法 昭和51年版より転記

 特定秘密保護法を憲法違反で裁判所に提訴する。いったん成立した法律には、様々な解釈がともなうものが常であり、違法であると裁判所で判定されても、形を変えて施行される。したがって、このことがないようにするためには、特定秘密保護法を廃止する法案の国会提出が必要である。

特定秘密保護法を廃止する法案の国会提出前にやるべきことは、国民の多数がこの法は廃止するしかないと思う状況を作り出す必要がある。そのための方法としては、特定秘密保護法は憲法違反であることを国民多数に知ってもらうために、同法を憲法違反として提訴することである。この提訴により、国会審議で明らかになっていない点を明らかにすることができる、またこの提訴により同法のデタラメさと憲法違反の事実を白日のもとにさらすことができる。最高裁での裁判では、国会と違い数の力による審議打ち切り、強行採決は行われないと思われる(これについては法の専門家ではないので疑問がある)。 

全文のPDFはこちら

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自分で確かめよう特定秘密保護法案の内容

−良識ある多数の国民にとって問題だらけの欠陥法案−

益永八尋

 特定秘密保護法案の国会審議が行われているが、徐々に多数の国民にとってその危険性が明らかにされつつあるが、安倍内閣とそれを支えている自公政権はこの法案を多数の議席を得ている今でなければ今後このような法案は通らないと考えている。特定秘密保護法案の全文を少し読んだだけでも良識のある国民にとっては、この法案がいかにいい加減な法案であり、かつ多数の国民にとって危険な法案であることを理解することができる。法案の全文は新聞社のHPにでているので是非自分で確かめよう。法案は24条と付則と法案提出理由からなり、全文はA415頁、14804字である。この程度の量の文字数であれば、短時間に読め、法案の内容についての理解も得ることができるので是非自分で法案の全文を読むことを勧めます。

 特定秘密保護法案の危険性や問題点については、分かり次第このコーナーに掲載します。 

全文のURL

@    http://www.tokyo-np.co.jp/feature/himitsuhogo/zenbun.html

A    http://www.asahi.com/politics/update/0927/TKY201309270036.html

 危険性1 あらゆる情報を特定秘密に指定可能

 特定秘密保護法案の第3条では、“行政機関の長は、当該行政機関の所掌事務に係る別表に掲げる事項に関する情報であって、公になっていないもののうち、その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるものを特定秘密として指定するものとする。”となっている。この条文で“安全保障”という言葉が記述されているが、この言葉の定義がされていないため、行政機関の長は恣意的に“特定秘密”として情報を指定できる。このため、行政機関の長は“安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため”の理由から“特定秘密”の情報として指定できるので、各種情報を“特定秘密”として指定できる。行政機関の長が良識あるものとは限らないため、悪用される危険性は高いと言わざるを得ない。このため、多くの国民がこの法律により被害に会う可能性は高いと言わざるを得ない。

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TPP反対にはあらゆる視点からの批判の声が必要−TPP.交渉参加は憲法違反−

 2013年8月26日 新規登録

このコーナーは、自由気ままなことを書くことを目指しています。毎日の出来事や思いついたこと、反省することなど様々な問題に自分なりに纏めを意識しながら文書化したものです。このため、文章の形式は特に意識しないで書いています。また、そのため、論理矛盾や感情の矛盾などが散見されると思いますが、ご了承を願いたい。このコーナーに書かれている内容が読まれる方の少しでも役に立つことを願って書いています。恐らく、大して役には立たないかもしれないでしょうが・・・。様々な情報発信の仕方があるものだと思っていただければ幸いです。
このコーナーの開設に当たり、今日本で一番問題になっていて、非常に難しい問題であるTPPについて、自分なりの意見を書いたのでTPP問題を知る上でのの参考になれば幸いです。

資料(TPP反対にはあらゆる視点からの批判の声が必要
−TPP.交渉参加は憲法違反− pdfファイル)

 

うわさは智者でとまるー風評被害を考える
WEB利用者の増大に伴い、さまざまな情報が氾濫している。仕事に役立つ情報や仕事に関係しない話題、さらには他人や団体・組織を誹謗・中傷する情報
など、実に多様だ。“○○の風評被害”でGoogle検索すれば、100万件以上がヒットする。Yahooで検索しても同様の結果がでる。
 東日本大地震と福島第1原発事故に伴う風評被害はどのような産業分野が多いか調べてみた。食の安心と安全に関わる産業(農業・食品)が一番多い。そ
れに続くのが観光、不動産業だ。これら以外の産業や企業でもさまざまな風評被害がある。検索された件数についての解釈や捉え方は読者によってそれぞれ違ったものになるだろうが、いずれにしても、“風評被害”に多くの人が関心を持っていることはたしかだ。
【以下書略。全文は下記のPDFに掲載】

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