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  歴史資産は多くの人に見ていただきたいので写真の提供をお願いします。このページに掲載します。なお、農業土木関係の歴史資産としては、「水利遺構の調査研究(中間報告) 平成8年3月 社団法人 農村環境整備センター」にまとめられています。土木関係では、土木学会選奨土木遺産として認定する制度が、社団法人土木学会からできて、これまでに約○○件が認定されている。

歴史遺産の名称 ファイル名 所在地 撮影年月日 撮影者 歴史遺産指定年、施設築造年等  資料・文献
朝倉の水車群 PhotoBook002
福岡県朝倉市古毛、菱野 1979年、1981年 益永八尋 現役で活躍している水車で、35haの水田に水を供給しています。  日本の水車、朝倉の水車
落合水路橋 PhotoBook001
山梨県都留市古川渡 2012/8/6 益永八尋 東京電力の駒橋発電所(大月市)に送水する水路で、途中の菅野川を横断するための水路橋。  現地案内板
犀川大橋 PhotoBook003 石川県金沢市 2010/9/13 益永八尋  現地案内板
犀川大橋下流の堰 PhotoBook004 石川県金沢市 2010/9/13 益永八尋  
大野庄用水 PhotoBook005 石川県金沢市 2010/9/13 益永八尋 大野庄用水は、金沢で最も古い用水とされている。延長約10キロメートル、幅平均6メートルで、城の防衛や防火、消雪、排水、木材の運搬など城下町の生活において重要な役割を果たすとともに農業用水として、およそ1400石の農地に恵 みを与えていた。  HPより要約
野火止用水 PhotoBook006 埼玉県新座市 2011/4/30 益永八尋 野火止用水は武蔵野原野の開発の一環として、野火止台地開拓のため、必要とする生活用水を確保するために作られた用水路です。  現地案内板
ジュラール水屋敷 PhotoBook007 神奈川県横浜市 2012/4/30 益永八尋 幕末に来日したフランス人実業家アルフレッドジュラールが横浜港に出入りする船舶への給水事業をおこなうために築造したもので、当時の給水施設の一部である。  現地案内板
港1号橋梁 PhotoBook008 神奈川県横浜市 2012/4/30 益永八尋 鉄道院によって架設され2連の30フィート鈑桁橋と100フィートの鋼フラット・トラス橋(クーパー型トラス橋)からなっています。  現地案内板
見沼通船堀
実演資料1
実演資料2
PhotoBook009
PhotoBook0010
PhotoBook0011
埼玉県さいたま市 2013/8/21 益永八尋 東西2本の見沼代用水路が非常に狭まる地点に、江戸時代中期の享保16年(1731年)に設けられたものです。見沼田んぼの中央を流れ、見沼たんぼの余剰の水を排水する芝川と東西2本の見沼代用水路を東西方向に結ぶ約1kmの運河に設けられています。芝川を中心にして東側が約390mの東縁(ひがしべり)、西側が約650mの西縁(にしべり)です。  現地案内版、さいたま市教育委員会
朝穂堰  PhotoBook0012  山梨県北杜市・韮澤市  2013/9/11〜13 益永八尋    
 大石堰  PhotoBook0013  福岡県うきは市  2013/9/24 益永八尋   江戸時代初期の浮羽地方は、筑後川の沿岸にありながら土地が高く水利が極めて不便なところで水田にすることができませんでした。五庄屋は、筑後川の水をこの大石から水道へ引き入れ送水して下流域を水田にしようと決心しました。1663年9月にこの計画を久留米藩に提出し、同年12月にこの計画が採用され1664年1月藩営事業として工事が始められて、3月中旬に開通しました。翌年に溝幅が拡張され、続いて66年、67年と拡張工事が実施されました。更に灌漑面積を拡大するため、1674年難工事の末、大石堰が完成しました。その後、農民の永年の苦労と努力に支えられて現在のような米作りの盛んな水田地帯となりました。
なお、江戸時代の大石堰は1953年の大洪水により甚大な被害を受け破損しましたので現在の大石堰はその後完成したものです。(一部原文を変更)
 現地案内板
 床島堰  PhotoBook0014  福岡県朝倉市・大刀洗町・久留米市  2013/9/24 益永八尋  床島堰(とこじまぜき)とは、筑後川の中流、床島(朝倉市長田、久留米市田主丸町八幡、三井郡大刀洗町三川の境)付近に約600m間隔で築堤された3堰をさす。堰は上流から恵利堰、床島堰、佐田堰の順に設けられ、恵利、床島は筑後川から、佐田は佐田川から取水、いずれも筑後川右岸に灌漑する。床島堰が初めて造られたのは江戸中期。(ウィペギア百科事典より転載)
 
 見沼通船堀  PhotoBook015  埼玉県さいたま市  2013/8/21 益永八尋  見沼通船堀は、1731年に幕府勘定吟味役井沢弥惣兵衛為永によって造られた我が国最古の閘門式運河です。通船堀は、代用水付近の村々から江戸へ、主に年貢米を輸送することを目的として、東西の代用水路と芝川を結ぶかたちで八丁堀の北側につくられたものです。東縁側が約390m、西縁側が約645mもありますが、代用水と芝川との間には水位差が3mもあったため、それぞれ関を設けて、水位を調節し船を上下させました。関と関の間が閘室となり、これが閘門式運河と呼ばれる理由です。この閘門をもつことが見沼通船堀の大きな特徴となっており、技術的にも高く評価されています。(一部原文を省略、以下省略)  現地案内板
見沼代用水路と国指定史跡見沼通船堀(編集・発行 さいたま市教育委員会)